■後援会のあゆみ
1925(大正 14年) 府立三中父兄会発足
1928(昭和 3年) プール施設付設
1932(昭和 7年) 校門より靴箱まで舗装、植樹工事
1949(昭和 24年) GHQの強い勧奨を受けた東京都の指導により三高PTAが組織される
1950(昭和 25年) 父兄会は継続都立両国高校となる。
父兄会・PTA合同で50周年記念式典を挙行。
講堂、教室、旧武道館の改装・備品の寄贈
1953(昭和 28年) 4月1日、後援会会則の施行により父兄会・PTAが一体化。両国高校後援会発足
1963(昭和 38年) 伊豆下田に同窓会・後援会の協力により温泉付学校寮「淡交荘」を建設。8月、管理人を雇用。
1973(昭和 48年) 東京都の指導によりPTAの組織替えが議論
保護者の大多数が現状維持に賛成
今日に至る
2001(平成 13年) 百周年記念講演会、記念式典への協力
記念誌・CD-ROM・記念品等を生徒へ寄贈
2006(平成 18年) 附属中学校開校に伴う会則改正
東京都立両国高等学校附属中学校開校記念祝賀会を淡交会と共同開催
記念式典への協力、記念品を生徒へ寄贈
2007(平成 19年) 「都立両国高等学校・両国高等学校附属中学校後援会」に名称変更



■後援会について■

 本校では、保護者と学校を結ぶ組織を「後援会」と呼んでいます。後援会の活動の多くは、創立以来の伝統を引き継いでおり、そこに本校後援会の独自性があります。

 本校においては「PTA」ではなく「後援会」と呼ばれていることについて述べたいと思います。これは学校の歴史と深いかかわりがあるからです。

  「後援会」の前身は、旧制府立第三中学校の父兄会です。初代校長の八田三喜は、「公立学校は公費で賄うべき」という考えで、学校の施設設備や消耗品の一部を、学校に対して補助することを目的とする、父兄会の結成には賛成していませんでした。
 
 しかし、関東大震災直後、全焼した校舎の再建工事はまだ始まらず、授業はバラック仮校舎で行われていました。震災の被害は広範なために、学校の復興をすべて府の予算で賄うことは容易なことではありませんでした。そこで、1925(大正14)年に府立三中父兄会が、学校に対する資金の援助を目的として発足したのです。

 三中父兄会会則には「本会ハ東京府立第三中学の教育方針ニ準拠シテ其ノ事業ヲ援助シ兼ネテ学校ト家庭トノ連絡ヲ図ルヲ以テソノ目的トス」と定められています。父兄会の目的は現在の後援会会則と全く同じです。

 このように、三中父兄会は震災を契機として創設されたのです。当時の三中の教育方針は、生徒の自律自修を重んじ、厳格な規律のなかでものびのび育てるというもので、それは今に受け継がれています。

 三中父兄会はこの教育方針に沿って昭和3年 新校舎建設に当たり、その頃東京市内でもまだ珍しい施設であったプールを付設したのです。その後、昭和7年には校門より靴箱までの通路を舗装し、校庭緑化のために植樹工事を行い、学校の環境整備に寄与してきました。

 府立三中は、都立第三中学校、都立第三新制高等学校時代を経て、1950(昭和25)年に現在の都立両国高等学校となりましたが、父兄会の組織はそのまま継続しておりました。

 父兄会は、戦災にあった校舎の復旧に資金面で協力したり、また昭和22年の東京復興都市計画に基づく、都建設局の区画整理による校庭削減計画に対して、団結して反対運動を起こし、この問題を棚上げにさせるなどの活動で学校に協力しておりました。

 しかし、昭和24年に三高父兄会とは別に三高PTAが組織されました。このことはGHQ民間情報教育部の強い勧奨を受けた東京都の指導によるものでした。当時の一般的な父兄会が、全員を入会させ、網羅的な組織を作り、地域支配の有力者がそのまま役員となり、「学校設備や催しの寄付、後援をすることを主な仕事として、本当の子供達のための仕事をしていくことが少ない。」という理由によってGHQは、PTA設立を指導してきたのです。

 当然のことながら三高PTAもその指導に基づき、民主教育の理解を深め、生徒の福祉を増進させ、厚生文化等の活動を目的とし、会員の自発的参加を基盤としたとする、自主的組織として発足しました。ところが三高父兄会を廃止しなかったために一つの学校に父兄会とPTAという類似する組織が併存してしまいました。そして、それぞれに役員、会長を選出して活動した時期がありました。しかしこの三高PTAも民主教育という結成の理念にもかかわらず、戦後事情による学校の施設設備や備品の不足が目に余り、結果的に従来の後援団体と同じく、地方自治体の経済的負担の肩代わりを余儀なくされたのでした。

 そのような関係の中で、昭和25年には父兄会・PTAがともに協力して、三高五十周年記念祝典を挙行しました。また記念事業としては、講堂・教室・旧武道館の改装、備品の寄贈なども行ったのです。このように、父兄会とPTAの活動の違いが見出せなくなりました。

 結局、1953(昭和28)年に両組織は一体化して、現在の「後援会」がうまれたのです。同年三月にPTAが理科設備資金寄付申請を最後の仕事として実施し、そして四月には後援会の初仕事として、許可後の集金を行っています。

 後援会はこのような経過をたどり、現在に至っております。

 会則の目的にも「・・・・・学校の教育方針に基づいて其の教育活動に協力し、併せて学校、家庭間の連絡をはかること」と定め、戦前の父兄会の性格を引き継いでいるものです。

 1973(昭和48)年に東京都の指導によりPTAへの組織替えが議論されましたが、保護者の大多数が後援会の現状維持に賛成しました。生徒の自主性を重視し、自立的に学ぶ校風があり、これを後ろで支えるものが後援会であると、保護者が認識したからであろうと思われます。

 後援会の組織は、各学級から3名以内の理事が選出され、教職員の役員とともに会が運営されています。他校のPTAと異なり、広報、学年などの委員会は無いので、役員の負担が少ないことも特色です。

 

◆−後援会の最近の活動について−◆

  • 第一は進学講演会の開催です。平成17年度より開始し、保護者対象(3年と1・2年の2回)で、 講師(塾)をお招きしております。毎年非常に好評で、多くの方の参加をいただいています。
  • 第二は、高校3年間無欠課、無早退、無遅刻、無欠席の卒業生に対して贈る皆勤賞です。 オックスフォード英英辞典を贈り、その努力をたたえます。19年度は、32名の卒業生に贈られました。
  • 第三は、クラス懇談会の開催です。学校生活などについて、保護者の話し合いの場となっております。
  • 第四は、学校説明会・大きな学校行事の時のお手伝いや、研修会への参加などがあります。
    後援会は、学校運営に協力しています。
  • 第五は、PTA賠償責任保険を採用しています。近年、子供達の安全が特に社会的に取り上げられるようになりました。この制度は、生徒の傷害や、対人、対物など法律上賠償責任を負ったとき、24時間(ただし、国内・後援会会員のみ)補償するものです。実際、大きな事故が発生しております。この制度により保護者の方が、少しでも安心できればと思っております。

 以上述べたように後援会は、一般的なPTAと組織も目的も異なり、一貫して学校、生徒のサポーターに徹しております。このことは、高校とは義務教育を終えた後の課程であって、高校生は自立し、自己の責任と判断で行動する世代であるという、相互信頼を基本として、後援会の役割とは、学校の良好な学習環境を作り出すことを第一の使命と考えているからではないかと思います。

 21世紀になり、本校の教育を取り巻く環境は、大きく変わっています。しかし後援会の組織、目的は長い年月にわたり、変更することなく、その活動においても、過去に積み上げられてきた活動を受け継ぎ、継続しております。今後、学校、生徒に対して新しい教育活動の必要があれば、後援会もそれに対応すべく、協力する態勢を常に整えております。